常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

神社を探検し真実の歴史といかに生きるかを探究しています

6.茨城県北部の地名についてー九州、四国との類似性

今日はちょっと趣向を変えて、茨城県北部の地名について書きます。

茨城県は関東地方なのですが、静岡あたりから西の方に住んでいる人から見ると、東北地方に思われていることが多いようです。まあ、小学校程度の知識もない奴らのたわごとだと思っていますが(笑)

そうはいっても、私達から見れば佐賀県はどこにあると言われてもピントは来ませんけど。(笑×2)

茨城県のイメージはたいていの場合(これって茨城弁か?)大体の場合ですね、県南のイメージが強く、広い大地と霞ヶ浦筑波山、そして太平洋です。

 

茨城県民の歌≫


1.空には筑波 白い雲
  野には緑をうつす水
  この美しい大地にうまれ
  明るく生きるよろこびが
  あすの希望をまねくのだ 
  いばらき いばらき われらの茨城


2.ゆたかなみのり 海の幸
  梅のほまれにかおるくに
  このかぎりない恵みをうけて
  おおしく励むいとなみが
  あすの郷土をつくるのだ
  いばらき いばらき  われらの茨城

 

3.世紀をひらく 原子の火  
  寄せる新潮 鹿島灘    
  このあたらしい 光をかかげ
  みんなで進む足なみが
  あすの文化を気づくのだ
  いばらき いばらき われらの茨城

 


ところが県庁所在地の水戸を過ぎるころから、北部は山並みが目立ってきます。

山と言っても九州や四国、岐阜や長野などに比べたら丘といったほうがよいような山がほとんどです。

北茨城市大子町の一部は「山」と呼んでもいいかなっていうくらいのものです。

茨城県で最も高い山は筑波山だと思っている方が多いようですが、実際には八溝山が最も高く1022mあります。

この頂上には八溝嶺神社が鎮座しております。

八溝と言う名前はヤマタノオロチを連想させますし、ヤマトタケルが賊を成敗した伝説が残っています。

 

そして県北(旧常陸国)には大きめの川が2本流れています。

南側が那珂川、北を流れるのが久慈川です。

那珂川を河口から遡って行くと、まず那珂川北岸が那珂湊(今のひたちなか市)、南岸が大洗町

那珂湊には酒列礒崎神社があり、大洗には大洗磯前神社があります。曲者の神社です。

那珂湊には阿字ヶ浦といういかにも修験を思わせる名の海岸もあります。

次いで水戸市水戸市には全隈(またぐま)町というところがあります。隈(熊)からの移民が多かったでしょう。

水戸市は昔は那賀国でした。そばを流れる川は那珂川(大昔は粟川と呼んでいた)です。

木葉下(あぼっけ)町と言う地名もあります。アイヌ語でしょうね。

参照→

木葉下(アボッケ) | スピリチュアルヒーラー宮古の縁側日記(改め)龍族を探して

 

飯富(いいとみ)町には大井神社があります。そうです。大生神社の系統です。昔は飯富とかいて「おふ」と呼んだようです。那賀国造の建借馬命=建御雷が祭神ですね。

多氏の神社です。分かり易いですね。はっきりと鹿島の神は多氏と言っちゃってます。(笑)

更に上流へ向かうと北東側は那珂市(那珂町と瓜連町))です。那珂市那珂川久慈川にはさまれています。那珂市鹿島神社がすごく多いのです。たぶん山間部に逃げ込んだカガセオ族を見張っているのでしょう。前回報告した静神社那珂市にあります。

南側が城里町(旧常北町と旧桂村)役場のある大字が石塚、ここはカガセオが粉砕した時に飛び散った石が落ちた場所と言われています。

つぎは旧桂村。ここはアワが着く地名あります。阿波山、粟。阿波国関連であることは間違いないでしょう。

今日阿波山上神社に寄ってきました。少名彦名命を祀っているのですが、千木は女千木でした。本当の祭神は大杉姫(鳥子神の母)みたいです。

 

岩舟と言う地名もあります。当然ながら石船神社がありますね。

そして茨城県最後は常陸大宮市(旧御前山村)。

御前山は孝謙天皇(称徳天皇)が弓削道鏡と隠れ住んだという言い伝えのあるところです。

天皇が住んだ山なので御前山。

和気清麻呂による宇佐神宮のご宣託により、天皇になりそこなって下野国薬師寺に流され、そのあと孝謙天皇と御前山に来て住んだと言われているところです。

栃木茨城には道鏡孝謙天皇にちなんだ伝承が各地に残っています。

しかし、「うそ八百」 と 「うさ八幡」は そっくりですね。(笑い)

先日ここもドライブしてきました。

近所なのですが、初めて通りました。

相当山の中になります。中腹まで行くと弁財天の看板があり公園のようになっているのですが、周りは鉄の塀で囲われ「本日休館」と書いてあり、門には施錠されていまた。

周りには、数件の家があり、弁天様を守っているように思いました。

不思議なところです。

この沢は皇都川といいます。光戸ともいうようです。後日探検してきますね。

御前山村野口から緒川と言う支流に入るとすぐに旧緒川村(常陸大宮市)。

門井(かどい)、那賀、小瀬(おせ)と続きます。

さらに上流へ行くと私の住んでいる旧美和村(常陸大宮市)。

那珂川河口から50kmの長旅でした。
栃木県境の鷲子(トリノコ)と言う集落は当然、豊玉彦(八咫烏)の子から来ています。

熊久保、桧沢、氷の沢、九州王朝に関係しそうな名前が目白押しです。

山を一つ越えて栃木県那珂川町にいくと、大那地(大きな那の地ですよ!)和田ア○子が日本国籍を申請するときに住んでいたという噂がありますね。

大田原家庭裁判所に申請したらしいですよ。

これで緒川は終了。

那珂川本流に戻ります。

近くには桧山と言う地名もあります。

伊勢畑を超えると栃木県茂木町に入ります。伊勢畑には天照神社があるので伊勢幡という地名になったのでしょう。

それから、旧烏山町那須烏山市)、旧馬頭町那珂川町)、旧黒羽町(大田原)、那須町と続き那須連山にたどり着きます。

烏山は旧美和村と県境で鷲子神社の南西に位置します。やっぱり八咫烏関連なのでしょうか。

そういえば、烏山の滝というところには、当然滝があるのですが、そこの民俗資料館?には、鎌足が幼少の頃住んでいたという伝承が掲載されていました。対抗意識でしょうかね(笑)

上流の馬頭町はゆり金の里といわれ、国内で最初に産金したところの一つと言われています。

大田原市源平合戦の英雄、那須与一の出身地です。

伝承によると生まれたのは旧小川町(現那珂川町神田城)だといわれています。

那須烏山市の上境という説もあるとのことです。

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次に久慈川をさかのぼってみましょう。

北側は日立市日立製作所発祥の地です。日立製作所熊野神社を祀っています。

創業者は小平波平。栃木県の出身です。もとは日本鉱業の設備担当。久原房之助が創業者ですね。

政治家にして大物右翼でした。日産コンツェルン鮎川義介の義兄ですね。

ここにも田布施システムの臭いを感じます。現代まで続く藤原下克上の歴史ですね。

少し川から離れて北上すると大みか町があります。大甕倭文神社(おおみかしとりじん

じゃ)があります。カガセオの本拠地です裏山は風神山と海幸彦風な名前になっています。

甕の原とか泉川とか京都と同じ地名があります。

ちょい北に行くと水木町。ここには泉神社があります。風神山からの伏流水がコンコンと湧き出しています。豊玉姫とも言われる速玉姫が鎮座しています。弁天様もいます。

水木の浜は東西金砂神社の72年に一度の浜降り神事の目的地です。

金砂の神はここから上陸したようです。百嶋先生が言っていたバンブーボートに乗って、神武巡幸の時に金山彦たちが上陸したのでしょう。西金砂神社にはこのバンブーボートの絵が飾ってあったとも言ってましたね。

そして南岸は東海村

日本で最初に原子の火が灯ったと昔は誇らしげに言っていた東海村です。県の歌にも出てきますね。当時は画期的なことで、原子力を文化だと思っていたのですね。

311以降は悪魔の申し子、文化を破壊するものとしての隠してきた力を誇示しています。

今でも原子力の関連施設が多数あります。JCOもあります。バケツ臨界チェレンコフ現象を起こしたあのJCOです。

東海村には、亀下があります。これは大甕と久慈川とはさんだ対岸にあり、本当は甕下でしょうね。亀は豊玉彦と関係があるかもしれません。(亀甲紋から)

原研東海の近くには伊勢と同じく阿漕が浦もあります。

白方、石神、ここもカガセオ石が降り落ちた地になっています。茨城県北の石のつく地名は、カガセオに関係がありそうです。

久慈川に戻って内陸部に向かいましょう。

常陸太田市です。佐竹氏が当初本拠をおいた地です。

400年以上にもわたって当地を統治した稀有な氏族です。

風神山の西麓には亀作と言う地名があります。

ここも本当は甕作でしょう。

常陸太田市から旧金砂村郷にかけては中臣鎌足の荘園だったと言われています。

真弓町は真弓神社の山麓に位置し、この神社はあの金砂神社の大祭礼の時に、弓を引かれてしまう不思議な神社です。

攻撃のつもりなのか弦を鳴らし音楽で誘惑しようとしているのかは定かではありません。(笑)

河合町、堅磐町(かきわ)から里川が北に延びています。ここは常陸太田市の東側を通り、まで続いています。旧里美村が分水嶺となっています。ここを超えると福島県矢祭町になります。

この沿岸は、それほど広大というほどではありませんが、阿武隈山地の南端の谷間に開けた扇状地がおいしいお米を作ります。(隈が出ましたね。隈が(笑い))

上流へ向かうととっても興味深い神社が目白押しの地域です。

まず、幡町。

ここには長幡部神社があります。

西宮町には当然のように西宮神社(戎様)が鎮座しています。

次の里の宮町に薩都神社。

白羽町には天白羽神社がそれぞれ鎮座。

薩都神社のはす向いは瑞龍町で、水戸徳川家墓所、瑞龍山があります。

春友町、町屋町と続き、日立市中里町に入ります。

ここは、日立鉱山の西側に位置しています。

これらの神社は別途詳しく報告させていただく予定です。


新田次郎の「ある町の高い煙突」から海風に乗って流れてくる煙害の被害を受けたところで、本来なら常陸太田市に入るべきところ、行政上は日立市に属しています。同じ常陸太田市内に国道を経由して行くのに、日立市を経由しないといけないという不思議なところです。

不思議といえば、この中里地区の奥、東側の日立市と境を接するところ日立市入四間町に、御岩神社があります。修験の山です。

あのお岩さんを祀った神社ではありません。(笑い)

この裏山は常陸国風土記の賀毘礼の峰に比定されるところで、NASAの宇宙飛行士向井千秋さんともいわれています)が見たという地上からまばゆい光を発していたところとの噂で有名になり、昨今では参拝者が増えています。

スピ系の間では、最高のパワースポットとか言われていますね。かといって、現世ご利益ばかりお願いしてくると、低層四次元の輩にカモにされてしまいますから要注意)です。(笑い)

 

久慈川本流に戻りましょう。

粟原というところがあります。ここは久慈川下流三日月湖があり釣り場になっています。

ちょっと上流に行くと、島とか小島とかがあり、縄文の海進時には海だったことがうかがえます。(控えめに書いてますが、島とか小島とかの地名をつく時代に島だったということでしょう。だから縄文時代のお話では済まなくなりますね)

島には茨城県第二の前方後円墳があり、久慈国造、舟瀬足尼の墓と伝わっています。舟瀬足尼は、ふなせのすくね、と読ませていますが、百嶋先生の神代系譜にある「武内足尼」(スサノヲの娘で長脛彦の妹)は、たけうちたらしに、と読んで女性です。すくねと読んだら、たけのうちのすくね、になってしまいますよね(笑い)。

百嶋先生は武内足尼の子孫は代々「足尼」を名乗っていると言っておられたので、もしかしたら、この舟瀬足尼は武内足尼の子孫なのかもしれません。

私が推測しているようにカガセオが長髄彦だったなら、兄妹ですのでそれも十分にあり得ることです。と言うか重大な証拠の一つに挙げられる事実となります。

日立市の風神山からは直線距離で5km程度の近さです。

 

島を遡ると常陸太田市でも旧金砂郷町に入ります。

百嶋先生にして秘密のお宮と言わしめた「西金砂神社」の近くには赤土という地名があります。先生は「かなすな」神社といっておられましたが、「にしかなさ」神社と読みます。

西があるなら東もあります。

基本的にはどちらも日吉大権現を勧請した修験の山のようです。

72年毎の未年に磯出大祭礼(浜降り神事)があります。

これも眉唾物ですが、江戸時代からは記録が残っているので、間違いなく行われています。

江戸時代、水戸徳川家は社寺改革を推し進め、領内の神社に「浜降り神事」をやらせています。

北茨城市の花園神社、日立市(旧十王町)の黒坂神社(茨城県を作った神様といわれている)、静神社、豊受皇大神宮などがそうです。特に旧那賀国の浜降りは酒列礒埼神社を中心とした祭礼で「ヤンサマチ」とよばれ盛大に行われていたようですが、昭和初期で終了してしまいました。「ヤンサ」が掛け声で「マチ」は「まつり」の訛りだそうです。

このお祭りは水戸徳川家がやらせた感が強いです。

九州にも耶馬渓町大野八幡神社に「やんさ祭り」がありますね。

金砂郷町(名前からしていかにもな感じですね)には久慈川の支流で山田川が流れており、遡ると常陸太田市の旧水府村に入ります。

江戸時代は水府とは駿府に対して水戸のことを指す地名でしたが、昭和の大合併時にできた村です。水府の名前を使うことには相当の抵抗があったみたいですよ。

タバコの産地として有名で、西の国分(花は霧島、タバコは国分の国分)、東の水府といわれたほどの高品質だったようです。だから、水府村にしたとwikiにはありますが、実はですよ、光圀(黄門ちゃま)は水府村で生まれたとの言い伝えも残っているの

です。その場所は今の常陸太田市(旧水府村)天下野町(けがのちょう)です。地元には黄門が産湯に使ったと伝えられている井戸が残っています。

 

東金砂神社は天下野(けがの:)茨城県の難読地名の一つ)にあります。

この天下野地区は西金砂神社が浜降りするときに通る最初の地区で、菊池姓が多く家紋は違い鷹の羽です。長嶋家もあり家紋は三階松です。阿蘇一族と関係がありそうです。

最近グーグルのCMで一躍有名になったバンジージャンプの出来る竜神大吊り橋があります。

天下野の北は高倉と言う地域になります。山田川は以上で終了。

 

久慈川本流に戻ります。

島、小島、松栄を上ると、次は旧瓜連町(現那珂市)に入ります。ここには常福寺という南朝系のお寺があります。楠正成の甥の正家が瓜連城を居城としたようです。

前回報告した静神社もこの町にあります。

更に上流へ向かいますとすぐに常陸大宮市です。

すぐに支流の玉川が西方に続いています。

常陸大宮市の旧大宮町に下大賀、上大賀があります。阿蘇一族との関係はまだわかりま

せんが、鷹巣と言う地名もあるので、可能性大ですね。

さらに上流へ向かい岩崎を過ぎると旧山方町(常陸大宮市)。

大字の照山、小貫、山方、和紙で有名な西野内とさかのぼり支流に入ると、西金砂神社の氏子の諸沢地区があります。ここは、久慈川支流山田川沿いの天下野と西金砂神社を境にして接しています。一区、二区、三区という小字名を使う共通点があります。

あと一区、二区などを使うには東京の浅草がありますね。

神社周辺の地区の呼び方なのでしょうか。浅草(矢野)弾左衛門の支配地なのでしょ

うか。

更に遡ると、舟生(ふにゅう)、家和楽(やわら)、盛金(もりがね)、西金(さいが

ね)と続き大子町に入ります。

金が出てきました。

国内最高の含有量といわれた栃原金山はもうすぐです。

私の家から山二つ超えたところです。山間部に住む人しかわからないこの表現方法(笑)

さらに頃藤、袋田(日本三大瀑布で有名)大子と続き、下野宮となります。途中の支流には下金沢、上金沢があります。

大子はあの後醍醐天皇と関係しているという話もあり、北茨城市足洗には後醍醐天皇のお墓と伝わっているところがあります。

この下野宮は、百嶋先生のCDにも栃木県と勘違いして出てくる近津神社のあるところです。

近津三社といわれて、大子町内の下野宮、町付、上野宮の近津神社三社をさす場合と、

下野宮の近津神社、福島県棚倉町にある八槻都々古別神社(やつきつつこわけ)、

馬場都々古別神社(ばばつつこわけ)の三社をして近津三社と言うことがあるようです。

八槻都々古別神社、馬場都々古別神社 は奥州一の宮です。

祭神はアジスキタカヒコネ(ウガヤフキアエズ)です。

久慈川は下野宮から茨城県最高峰八溝山の方向に八溝川が伸びており、八溝山まで続いています。

 

以上長かった県北2大河川の旅を終わります。